キレるということ。

データを掘っていたら、こんな日記発見。


2000/5/24の日記。


我ながら恥ずかしいことを書いている(笑)。


以下、本文===============


2000/5/24


最近、「キレる」という言葉をニュース等で多く聞かれるようになった。


自称・良識人の大人達は、キレるという現象を、
まるで自分達の全く経験のした事の無い
未知の感情であるかのように語らっている。


特集報道番組等では番組の一部に
「少年がキレた理由について・・・」(アクマで仮称)
などというコーナーや、
コラムまで設けてまで分析しようとしている。
そこでは、恐らく心理学等のオーソリティーであろう人物が、
いかにも専門家らしい、さも難しそうな顔をして分析やコメントをする。


先日、とある番組を見ていて驚いた事は、
そこに出ている、いわゆる大人と呼ばれる人達は、
まるで、産まれてこのかた
「キレる」という状態になったことがないかのように振舞っていることである。
キレたこと・・・ないのか?


別に、キレるという感情の善悪なんかには興味は無い。
ただ、定義が知りたいとは思う。
コトバの一般化は、それに伴い意味の抽象化までをも促進する。
ニュースで報道する際に用いる以上、
しっかりとした定義があるのであろう。


例えば、あることをきっかけに
通常人では理解しがたい行動に出る事がこれにあたるのならば、
あるいは、大人達も十分キレているようにも思える。
政治家になったとたんに汚職をしたり、
職権を濫用してよからぬ事をしでかす。
社会に迷惑をかけている点も考えると、
若者のキレる現象とまったく違いがないばかりか、
むしろ、罪深さはそれと比べても余りあるくらいだ。


では仮にキレることが、狂気であると定義するなら、
それこそ多くの大人は一度くらいはキレたことがあろう。
戦時・戦後・経済成長期・バブル時代とその崩壊等など・・・。
発狂の機会(?)は、山ほどあったはず。
それとも、みんなしてきた事だから必要悪?
もしかして忘れたのか?
暗黙の了解?
ぼく達にはわからない。


ぼく達は、大人を見ている。
少なくともニュースを見ていれば報道の範囲でではあるが、
大人の犯した良からぬ行為は筒抜けと言えよう。
普段だってそうだ。
道を歩いている時、電車に乗っているとき・・・
公共の場にいる間ぼくらは大人を見ている。


大人が子ども達に対し、理想像を持っているように、
子どもも大人達に対し、理想像を持っている事に気付いて欲しい。


・・・以上==========


熱かったなぁ、五年前の自分。
今はだいぶ、社会にもまれて丸くなりました。
・・・たぶん(笑)。


また古い日記見つけたら載せてみます。
っていうか、この日記サイトは過去の書き込みもできるから、
その機能使えばいいか。


ちょこちょこ5〜3年前の日記を、
その日付に載せてみますので、
お時間のあるときにでも読んで頂けたら嬉しいです。


かも・かもでした。